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桑山貞晴 (小傳次)[くわやま さだはる]
桑山 貞晴(くわやま さだはる)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、茶人である。桑山重晴の三男。号は洞雲。同名の甥桑山加賀守貞晴がおり、区別して桑山小傳次あるいは桑山左近大夫とも書かれる。片桐石州は貞晴の門下生にあたり、茶人としては桑山宗仙を名乗った。 == 生涯 == はじめ豊臣秀長に仕え、大和国内に2,500石を与えられた。秀長死後は豊臣秀吉に仕えた。1592年、文禄・慶長の役には甥(兄桑山一重の子)桑山一晴と共に出陣。水軍を指揮した。 次いで徳川氏に仕え、1600年、関ヶ原の戦いでは東軍に従って和歌山において父桑山重晴と共に戦功をあげた。1615年、大坂夏の陣でも同じく徳川方で、道明寺の戦いで丹羽氏信らと共に薄田兼相の軍勢と交戦した。 また千道安から茶の湯について学んだ茶人でもあり、宗仙と名乗って晩年は千利休の茶風を後世に伝える役目を果たした。 寛永9年(1632年)7月7日に死去、享年73。
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